腐りかけの海

腐りかけの海

全て実費で大学へ通う お水苦学生の日々

ぼくのわたしの考えた夢との向き合い方<1>~夢is敵~

昨夜は一週間ぶりにバイト行き、夕方まで寝てしまいました。Yです!
でも、飲み屋さんって活気があっていいですね!!改めて!!ね!!
接客業は良いエネルギーをもらえる日もあれば悪いエネルギーをもらってしまう日もあって、労働時間以上に疲れたりすることは日常茶飯事なのですが、昨日はオーラス出勤だった割に疲れませんでした!

きっと日頃、企業訪問や選考ばかりで、「話」ができていなかったからですね。
人事の方たちや就活生と接することは多くても、「話せてる」感じがしないです。
そんな中いつもの顔ぶれが店で出迎えてくれて(出迎えるのはお前だよ笑)、そこでの気の置けない会話にほっとしました。
この頃はバイトが半分息抜きみたいな感じになってて、久々に「人といるのって楽しいな~~」とか思えています。

 

そんで、今日は「夢」に関して自分が思うことをまとめたいと思います。
これを今まとめておくことは自分にとってとても重要なのです。
少々長くなりますが「夢」との向き合い方に悩んでる方、読んでみてください。
これは私VS夢の、20数年間に渡る死闘の末の結論になります。(壮大感)

  

ドリームイズスーパーハイパーウルトラエネミー

まず、「夢は敵です」!!!間違いない!

こいつに励まされたことなんて私は一回もない!!

不穏な始まりで申し訳ないです。しかし私は素直にドリームファッカーです。(?)
私がこの世に生まれて、自我が芽生え、5歳くらいの時にソイツはようやく生まれました。はじめは仲良く過ごせていたんです。でも、小学生、中学生、高校生と私が育つに連れて、私の成長を上回るスピードで肥大化していきました。
そしてある日、思いました。私はもうコイツを連れては歩けない。抱えて一緒に過ごせない。だって重過ぎる。コイツと同じ重みになることなんて絶対できない。私が死んでしまう…そう思わせてくれたソイツこそが「夢」です。はいどうもこんにちは!

私はこの「夢」とどう向き合っていいかわからず、ある時ダンボールに入れて捨てました。
だけど、なんか後を着いて来るんですね。昔はキラキラしてたソイツは、今じゃ真っ黒、ヘドロの塊。完全なるカオナシです。カオナシは怖い。怖くて怖くて、逃げ回って、私の方が逃げ足が早いから一時的には逃げ切れるんですね。
でもアイツは常にゆっくりと追いかけてきていて、忘れた頃に曲がり角でサプライズエンカウントしてしまい、小便ちびるような毎日。私は小便で汚れたパンツの装備で、日銭を稼いで逃げ回るのです。お酒はおいしい。料理もおいしい。タバコもおいしい。
逃げた先では刹那の楽しみがたくさん待っていました。野郎のことなんて忘れるくらいに。

でもどうせ、自分の心の奥底に染み付いた、自分が生きている限り到底消えてくれない、ヤツはまた目の前に現れるのです。

それを終わりにしたい!!!!!
どうせ小便ちびるなら、ヤツというラスボスに対峙したい!!自分はLv.11/100くらいなのでギタンギタンにやられちまうでしょう!でも、どうせならそのダメージでちびりたいし、どうせならそれで死のう!重みで死ぬなら、一戦交えて死ぬことにしました。こう決めたのが、3日くらい前です(直近)

 

 

「あなたの夢はなんですか?」と尋ねられて

とりあえずファンタジーな話を一旦終わらせますね。時は平成、世はアベノミクス
先日、ある企業の最終面接がありました。その際、社長から「Yさん、夢ってありますか?」と尋ねられたのですけど、ろくな回答ができませんでした。

私は「夢」ではなくて「目の前にある目標」を述べたのですが、それのちっぽけなこと。現実味があるし、ウソではないのに、口に出して恥ずかしくなるような。

夢なんかね、あるけど言えませんでした!その夢は憧れでしかないんです。本気で「なろう」とは思えていません。しかもその会社の職種と全然関係ないしね。
ただ、その面接を受けた日から「これが夢です」って言えなかった自分がやたらめったら情けなくて、色々考えるようになりました。
時間にして一週間も経ってないんですけど、実はそれは高校3年生の頃からずっと悩んでいたことだったんですね。そこから5年経っても、自分の好きなものに胸を張れていないことを、突きつけられてしまったような気がしました。

 

 

高3の夏

やらない後悔より、やる後悔。同じ後悔でも種類が違いますよね。わかっていても、やれないんだよ!という人、たくさんいると思います。私はずーーーーーーーーーーーーーっとやってこなかった人間です。
趣味では続けていました。それを仕事にできるなんて今も思っていません。

 

でも、一度だけ、やる後悔へと片足を突っ込んだことがありました。その「夢」へと近づける、とある専門的な勉強がしたかった私は、高3の夏から予備校に通うことにしました。
趣味で長く続けていたことでしたが、大学へ行くとなると全く作法が違い、通用しないということはわかっていたのでそこで受験勉強をはじめました。
当時他人の家といっても過言ではない場所(しちめんどくさい事情マン)に住みながら、毎日16時に学校が終わってから1時間半かけて予備校に行き、また1時間半かけて帰り、家につくのは23時過ぎ。そして次の日は7時に起きて学校へ行く。

今思うとブラック企業社畜と同じような生活をしていましたね。すごくハードだったと思います。ドドド田舎の生まれなので、市内に出なければ予備校がなかったため、これは仕方ありませんでした。

 

ちなみに、私の学んでいた受験勉強というのは筆記ではなく「実技」だったのですが、これがまた一向にうまく行きませんでした。
毎日3・4時間ずつ、3日かけて完成させたものを講評で5分もかけずにボロクソ言われまくる日々。しかも、そこに通う2、30人ほどの前で公開処刑
私より技術がないくせに「試験用の実技」だけはできる(と当時は思い込んでいましたすいません)やつも何人かいて、そいつらの前で言われることも辛かったです。
彼らのプライベートでつくったものをはじめて見せてもらったとき、こんなものしかつくれねーのか、とガッカリしたものでした。
だけど、彼らは講評ではいつも上位の評価を受けていました。尋ねると、予備校に通って2年になり、高校でも専門的な科に属しているとのことでした。
対して私は通い始めて数ヶ月、高校も普通科。(一応進学校だったので、空気は受験戦争真っ只中。300人いる同級生のうち、英語や数学の勉強をせず制作してる人間なんて私くらいでした。)当時の私は、努力と経験を重ねてきた「できて当たり前の人たち」と、これから経験値を積む「できなくて当たり前の自分」をガンガン比較していました
アツい・・・あと、なんか、青臭いけどかっこいいな。頑張っていたんだな。

オラ、悲しくなってきたぞ。

今思えば彼らは試験として、仕事として真面目に課題を処理していただけです。
色味が、形が綺麗なものをつくっていたのではなく、確実に試験での評価を受けられるものをつくっていたのです。試験に受かるための予備校ですから、それが評価されるのは当たり前のこと。正しいです。
私は趣味と混同し、自分が美しいと思うものばかりつくっていました。

「基礎力」と「センス」は違うということ、わかっていたけどどうしても辛かった。
日々の積み重ねでできあがる基礎力と、偶発的・潜在的によるところがでかいセンスと。自分としては彼らよりセンスがある気でいたのです。彼らの服も、作品も、全てがダサイと思っていました。あ、めっちゃ恥ずかしい。今頃あの子らめっちゃオシャレな服着てオシャレなオフィスでオシャレな仕事してんじゃねえの?え?つら?
なんかもうほんと、高3のくせに中2病こじらせMAXだったんですねえ。

「Yの作品は綺麗だけど、課題が求めていることと違うんだよね」と度々言われたのはとてもよく覚えています。
言われるくせに、課題の意図を汲めなかったのは、要領をつかめていなかったこともあったけど、なんというか意地もあったんでしょうね。

 

つづきます。。